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国旗を燃やす自由はゲームの中だけなのか

国旗を燃やすゲームを作った

国会で国旗損壊罪の創設が議論されている。

報道によれば、検討されている法案ではアニメや漫画、ゲームなどの創作物は処罰対象から除外される方向らしい。

それを見ていて、ふと疑問が湧いた。

「ゲームの中なら燃やしていいのか?」

という疑問である。

もし国旗そのものに神聖不可侵の価値があるのであれば、現実であろうがゲームであろうが関係ないはずだ。

逆にゲームなら問題ないというのであれば、それは国旗を守りたいのではなく、国旗を燃やすという政治的メッセージを規制したいだけではないのか。

そんなことを考えていたら、つい勢いでゲームを作ってしまった。

国旗を燃やすゲーム

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もちろん本物の国旗は燃えない。

ブラウザの中で画像が燃えるだけである。

しかし、もし国旗を燃やすという行為そのものが許されないのであれば、このゲームもまた許されないはずだ。

ところが現実の議論では、こうした創作物は除外される方向だという。

なかなか興味深い。

なぜなら、その瞬間に国旗損壊罪が守ろうとしているものの正体が見えてしまうからだ。


そもそも国旗損壊罪という発想そのものに、私は強い違和感を覚える。

第一に、これは財産権への介入である。

他人の国旗を勝手に燃やせば器物損壊罪だ。

そんなことは当たり前だし、今でも処罰できる。

問題は、自分で買った国旗まで国家が口を出そうとしている点にある。

自分の金で購入した物を、

飾ろうが、
額装しようが、
切り刻もうが、
燃やそうが、

本来は所有者の自由である。

それが財産権というものだ。

国旗だけは例外だというのであれば、国家は私人の所有物に対して特別な支配権を持つことになる。

それは決して小さな話ではない。


第二に、これは内心の自由への介入である。

国旗を燃やす人間の多くは、単に焚き火の燃料が欲しいわけではない。

そこには何らかの思想や政治的意思表示が存在する。

政府への抗議かもしれない。

国家への批判かもしれない。

あるいは単なる悪趣味かもしれない。

しかし、いずれにしても問題にされているのは燃焼という物理現象ではなく、その背後にある「気持ち」の方だ。

つまり国旗損壊罪は、行為を処罰しているように見えて、実際には思想や感情を処罰する法律になりかねない。

国家を愛する自由があるのなら、愛さない自由もまた存在しなければならない。

民主主義とはそういうものだ。


もちろん私は国旗を燃やそうと呼びかけているわけではない。

多くの人が国旗に敬意を持っていることも理解している。

だが、その敬意は自発的なものでなければ意味がない。

刑法によって強制された愛国心に価値はない。

尊敬しろと命令されて生まれる尊敬など存在しないからだ。

むしろ自由な社会だからこそ、国旗を大切に思う気持ちにも意味が生まれる。

国旗を守るために自由を削るのか。

それとも自由を守るために不快な表現にも耐えるのか。

国旗損壊罪の議論は、実は国旗の話ではない。

自由な社会とは何かという話なのである。

そんなわけで、ゲームを作った。

興味があれば、一度燃やしてみてほしい。

ゲームの中で。

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この記事を書いた人

わるい総合研究所の設立者。
すべては「面白いかどうか」で決まる。

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